前回の記事
日本でクリスチャンとして生きる!私のキリスト教を信じるきっかけ!

前回は私が教会に行くまでの事を書きました。

若い時に多くの人が持つ「自分が生きる目的って何なのだろう?」という悩みを抱えた私でしたが、とにかく良い友人をたくさん作ろうと決心しました。そして、大学時代の友人にお願いして、最初に訪れたのが、今も私が通っているキリスト教の教会でした。

キリスト教どころか、宗教というものにほとんど触れずに育った私は、クリスチャン達のエネルギーにただ圧倒されるばかりです。

今回は、そんな私がどのようにして洗礼を受ける決心をして、クリスチャンになったのかについて書いていきます。

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クリスチャンは明るくてアグレッシブだった!

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礼拝の開始時間を勘違いした友人のせいで、礼拝終了後に到着した私でしたが、たくさんのクリスチャンの人たちを紹介されました。紹介される人たち全てが私に興味を持って、色んな事を聞いてくれ、また、自分のこともオープンに話してくれます。

よそ者なのに、心から歓迎してもらいました。これがクリスチャンの心というものでしょうか。

その日は数え切れないほど、自己紹介をしましたが、名前は全然覚えきれませんでした。

いきなり来た知らない人にここまで興味を持ってくれる人たちは初めてです。来る前は「自分から積極的にな色んな人と話そう!」と意気込んでいましたが、むしろこちらが圧倒されるくらいです。

結局、30分くらい色んな人と話した後、そのまま帰るのもなんなので、クリスチャンの人たちと夕ご飯を一緒に食べに行くことにしました。

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そして、なんと聖書を学ぶことに!

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食事は場所を変えて、レストランに行くことになりました。

みんなが頼んだ食べ物が揃うと、食事の前のお祈りをするのでお付き合いくださいと言われました!

私は「おおっ映画でよく見るヤツだ〜!でも、ちょっと恥ずかしいな」と思いながら、目を閉じてそのお祈りの言葉を聞いていました。

この食事の最中にも次から次へとクリスチャンの人たちが店にやってきては紹介されます。食べる暇も無いくらい色んな人と話しながら、食事を終えました。

店を出ると、最初に礼拝堂の入り口にいたクリスチャンの男性のHくんが言いました。

Hくん「帰りはどうやって帰るの?僕は車で来てるから最寄り駅まで送るけどどう?」

私「電車で○○駅から帰るので、送ってもらえると助かります!」

私はHくんの言葉に甘えて車で送ってもらうことにしました。私を教会に連れてきてくれた大学時代の友人Kくんは別の駅から帰るので、ここで別れました。

この時は想像もしませんでしたが、Kくんと次に会ったのは、私はクリスチャンになってからでした。その時の彼はえらく驚いていました…

ちなみにKくんは結局クリスチャンにはなりませんでした。まぁ、人生は人それぞれです。

さて、何人かのクリスチャンと私はHくんの車に乗り込みました。その車の中で話題は、今日の私の感想のことになりました。

Yさん「今日はどうでしたか?」

私「みんな明るくてポジティブで凄いなと思いました~。クリスチャンへの今までのイメージが変わりました!」

Yさん「そういってもらえると嬉しいです!みんなも聖書を知る前は普通の日本人だったんですよ。やふひちさんも聖書を読んでみませんか?」

私はこの時点では、クリスチャンになりたいとは考えていませんでしたが、世界中で多くの人が信じているキリスト教にはとても興味がありました。それに、この人たちとももっと友達になりたいとも思いました。

私「キリスト教にはとても興味があるので、是非、知りたいです!」

Yさん「じゃあ、聖書を読むにあたって、予備知識があった方が良いんで、これから軽く一緒に読んでみませんか?ほんの30分くらいで済むんで。」

私「え!?今からですか?でも、まぁ大丈夫ですけど…。皆さんは大丈夫ですか?」

Hくん「僕は大丈夫だよ。是非、一緒に読もうよ!」

Yさんの押しの強さに少々戸惑ったものの、終電の時間までには、余裕があったので、そのまま道路沿いにあるマクドナルドに入って、コーヒーを頼み聖書を開きました。これが私の聖書の学びのスタートでした。

人生で初めてキリスト教に触れた初日に、いきなり聖書を読むことになったのです。ここから私の人生は急展開していくのです…。

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全く逆の人生を歩むことを決心!

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クリスチャンたちは聖書を読むにあたって、聖書がどういう目的で書かれたのか、イエス・キリストはなんのために生きたのかなどの予備知識を教えてくれました。

そして、私に「ルカによる福音書」から読み始めるのを勧めてくれました。1ページ目から読むと、いきなりイエス・キリストの系図から始まって挫折する人が多いからだそうです…。

それからはクリスチャンのみんなと定期的に会って聖書を一緒に読みながら、イエス・キリスト神様の事、キリスト教で最も大切な教えである「」の事などを教えてもらいました。

自分でも聖書を夢中で読みました。初めて読む聖書は半分も理解できませんでしたが、クリスチャンたちから大切なポイントを教えてもらいながら徐々に理解していきました。

そして、聖書の最も大切なメッセージである、自分の罪と、そのために犠牲になって十字架にかかったイエスのことも教えてもらいました。

私はそれまで、自分はそれなりに賢くて、仕事も真面目にやって善良で、社会にも貢献している良い人間だと思っていました

しかし、それは「傲慢な心」を生んで、自分よりも愚かだと思う人を見下していました。私は弱い人を助けたり励ましたりせず、弱いままでいるその人が悪いと考えていました。

聖書を読むことで、既に更に賢くて善良な人間になっていると感じていた私は、イエス・キリストの十字架のメッセージに打ち砕かれました

良い人間だと思い込んでいた私は、自分が自己中心で傲慢な人間であることを受け入れるのは難しかったです。それが私の人間としての価値だと思っていたため、何も価値のない人間になり下がったかのような惨めな気持ちがしました。

しかし、最終的にはそんな惨めな自分でも、神様から招かれているんだよという、クリスチャンのみんなからの励ましで、最後は洗礼を受けて、クリスチャンになりました。

結局、私がクリスチャンになるためにしたことといえば、惨めな自分を受け入れただけでした…。謙虚で良い人間になったわけではありません。私は相変わらず自己中心で傲慢な人間であることに変わりはありませんでした。

最初はクリスチャンになる気はなかったのに、いつの間にかクリスチャンになりました。聖書のメッセージを知った時には、クリスチャンになる以外、選択肢がなかったというのが正直な気持ちです。

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クリスチャンになった自分は自由だった…

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クリスチャンになる前のイメージは、キリスト教は戒律的で、守らなければいけないルールに縛られる窮屈な生き方だというものでした。

しかし、クリスチャンになってみて分かったことは、全く逆でした。それまでの人生は、人から良く見られるための虚栄心や、他人に勝つための競争心、自分の自信のない部分に対する恥の気持ちなど、数多くのネガティブな心に縛られて生きていました。

クリスチャンになった次の日の朝に見た太陽は、とてもすがすがしかったのを強く覚えています。私は自己中心で傲慢な人間ですが、それが明らかになった今でも、私は神様やクリスチャンの仲間から受け入れてもらいました。

それによって、昨日までの私の悩みは、もはや悩む必要のないものになりました。

クリスチャンになったからといって、人生の試練や悩みが無くなるわけではありません。しかし、弱い自分を自分で受け入れる事ができるようになったことは最も大きな変化です。

そして、悩みや弱さがある自分を受け入れてくれる仲間や神様との関係は、私の人生で最も大切なものです。

是非、機会があれば聖書を読んで、キリスト教に触れてみてください!